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제목: ソロモンの奉献祈祷(ほうけんきとう) -「最後(さいご)の結(むす)び (1)」- 1. 民(たみ)の罪(つみ)・過(あやま)ちを許(ゆる)し (50a) 2. 捕囚地(ほしゅうち)で憐(あわ)れみ (50b) 3. (バビロン)敵国(てきこく)の憐(あわ)れみ (50c) 일자: 2013년 9월 1일 강사: 吉田耕三(よしだ こうぞう) 牧師 성경본문: 列王記上(れつおうきじょう) 8:50-53 50 あなたの民(たみ)が、あなたに対(たい)して犯(おか)した罪(つみ)と、あなたに対(たい)して行(おこな)ったすべてのあやまちをゆるし、彼(かれ)らを捕(とら)えていった者(もの)の前(まえ)で、彼(かれ)らにあわれみを得(え)させ、その人々(ひとびと)が彼(かれ)らをあわれむようにしてください。 51 (彼(かれ)らはあなたがエジプトから、鉄(てつ)のかまどの中(なか)から導(みちび)き出(だ)されたあなたの民(たみ)、あなたの嗣業(しぎょう)であるからです)。 52 どうぞ、しもべの願(ねが)いと、あなたの民(たみ)イスラエルの願(ねが)いに、あなたの目(め)を開(ひら)き、すべてあなたに呼(よ)び求(もと)める時(とき)、彼(かれ)らの願(ねが)いをお聞(きき)ください。 53 あなたは彼(かれ)らを地(ち)のすべての民(たみ)のうちから区別(くべ)して、あなたの嗣業(しぎょう)とされたからです。主(しゅ)なる神(かみ)よ、あなたがわれわれの先祖(せんぞ)をエジプトから導(みちび)き出(だ)された時(とき)、モーセによって言(い)われたとおりです」 50節(ごじゅっせつ)の後半(こうはん)にですね、「彼(かれ)らを捕(とら)えていった者(もの)の前(まえ)で」これは、あのバビロンでしょう。 バビロンの人(ひと)たち、「彼(かれ)らを捕(とら)えていった者(もの)の前(まえ)で、彼(かれ)らにあわれみを得(え)させ」これ、これは誰(だれ)がしたいかって、主語(しゅご)がね、イスラエルの民(たみ)を、やがてですね、捕(とら)えていった者(もの)、つまりバビロンの人(ひと)たちの前(まえ)で、神様(かみさま)彼等(かれら)に憐(あわ)れみをもたえ下(くだ)さい。 憐(あわ)れみの主体(しゅたい)は、あの天(てん)のお父様(とうさま)ですね。 ところが、次(つぎ)のですよ、その人々(ひとびと)が彼等(かれら)を憐(あ)、憐(あわ)れむようにして下(くだ)さい。 これは、あのバビロンの人(ひと)、敵(てき)、敵国(てきこく)、3番(さんばん)。 3. (バビロン)敵国(てきこく)の憐(あわ)れみ (50c) 50節(ごじゅっせつ) 50절 後半(こうはん) 후반 彼等(かれら) 그들 捕(とら)える 잡다, 붙잡다, 붙들다 ∼ていった …하고 있었다 者(もの) 자, 사람 ∼の前(まえ)で …(의) 앞에서 これ 이것 バビロン 바빌론 バビロンの人(ひと)たち 바빌론 사람들 憐(あわ)れみ 불쌍히 여김, 동정 得(え)る 얻다 させる 사역의 조동사 誰(だれ) 누구 ∼たい …하고 싶다 ∼って …(이)라고, …다고 主語(しゅご) 주어 イスラエルの民(たみ) 이스라엘 백성 やがて 이윽고 つまり 즉 神様(かみさま) 하나님 主体(しゅたい) 주체 天(てん) 하늘 お父様(とうさま) 아버님 ところが 그랬더니, 그런데 次(つぎ)の 다음의 その 그 人々(ひとびと) 사람들 憐(あわ)れむ 불쌍히 여기다 ∼ようにして下(くだ)さい …하도록 해 주세요, …하도록 해 주십시오 敵国(てきこく) 적국 3番(さんばん) 삼 번 |